この記事は著者 Barbara Sykes の許可を得て,メインライン・ボーダーコリー・センターのページから転載・翻訳または、寄稿されたものです.無断転載は固く禁じます.
Translation Copyright FBCC, 2000-2003
物心のついたときからずっと,ボーダーコリーは私の人生の一部でした.20世紀の後半になってから,彼らはさまざまな文化やライフスタイルの中で暮らすようになり,万能犬種として知られるようになりました.
「どのように働くのか?」 「ワーキングドッグとしてどんな生活しているのか?」 「家庭犬には適しているのか?」 ,彼らに関する意見は,さまざまに分かれています. 「ワーキングドッグが室内で暮らせるのか?」 という問いには,私も大きな関心があります.私の家にはたくさんの犬がいますので,全員が室内で暮らせるわけではありません.でも,引退した子や身体の弱い子,子犬,問題のある子などは家の中に住んでいます.
犬たちは,私の人生の一部です.
共に働き,共に暮らし,そして一緒に笑います.
彼らにはすばらしいユーモアのセンスと,驚くべき忠誠心が備わっています.
愛情だけでなく,私は彼らに対して深い尊敬の念を抱いています.
もし,私のおしゃべりや著作物やWebサイトを通じて,人々をコリーたちの本当の姿やその業績に少しでも近づけることができたら...私は,それが彼らが教えてくれた愛に報いることになると信じています.
ボーダーコリーは気高く忠実であり,大いなる自由の魂を持っています.
そしてこれらこそが,彼らがオーナーのために獲得するトロフィーやメダルより,遥かに重要なものなのです.
動物に対する虐待が頻繁に見られるようになってきたのは,悲しい事実です.レスキューされるコリーたちも,これまでになく増えています.
先人たちは,誠実で真の仕事のパートナーを私たちに残すため,懸命の努力を払ってきました.私は,この業績を後世に伝えるためには,農場の犬と家庭犬の間にある,深い溝を埋める必要があると信じています.両者は一つであり同じものなのです.
心優しいオーナーもいれば,冷酷なオーナーもいます.
競技中毒の人もいれば,愛情深いハンドラーもいます.
外で暮らす子もいれば,ベッドサイドで眠る子もいます.
しかし,ボーダーコリーは唯一つです.
メインライン・ボーダーコリー・センターは,そのために活動しています.
オーナーが誰で,どんなライフスタイルであるかといったことは,大きな問題ではありません.重要なのは,どれだけ深く彼らを理解し,どれほどの愛情を注げるかということです.
たとえ,それがどんなに僅かなものであっても,彼らはそれを100倍にして返してくれるでしょう.これこそが,私たちが後世のために育むべきものです.
遠い昔から,ボーダーコリーは羊飼いたちの最高の友人であり,仕事のパートナーでした.狼から引き継がれた本能は,人間を群のリーダーと見なして一緒に働くように仕向けられてきました.最初は1頭の農家の犬か家畜番の犬だったのでしょう.それがやがて数世紀の年月を経て,世界で最高の牧羊犬種になったのです.
数世紀前,砂漠の遊牧民たちが現代のボーダーコリーに似た「牧羊犬」を道連れにしていたことを示す証拠があります.また,アメリカの移民たちの農場や大草原を走る汽車に乗っているボーダーコリーが,雑誌の記事や写真として残っています.
19世紀の後半になるまで,私たちの祖先である羊飼いたちには,繁殖する犬を慎重に選択する習慣がありませんでした.1906年,この犬種の育成と保護のために,世界牧羊犬協会(International Sheep Dog Society (ISDS))が設立されました.1955年には,その世紀の始めまで遡った詳細な家系調査が実施され,最初のスタッドブックが発行されました.その後,さらに詳細な調査や分析が積み重ねられ,第2第3のスタッドブックが発行されてきました.
これらのおかげで,ブリーダーの専門家たちは後世に残すにふさわしいボーダーコリーを生み出してくることができたのです.
今日では,ISDSに登録されたボーダーコリーは,すべてその血筋をスタッドブックの第1ページに記載された犬たちにまで遡ることができます.そこに載っているのは,私たちの祖先が,遠い未来にすばらしい血筋になるだろうと夢見た犬たちです.
それを見れば,ワーキング・ボーダーコリーのスタンダードとは,賢い牧羊犬としての能力であって,決してその外見ではないことがはっきりします.ブラック&ホワイト,トライカラー,ブルー/レッドマール,ぶち,ホワイト&ブラック,ショートコート,ロングコート,立ち耳,ドロップ耳...これらはボーダーコリーのバリエーションですが,そのすべてを古い先代犬の中に見出だすことができます.望ましくない遺伝子を排しつつ,オリジナルのカラーだけが受け継がれてきたのと同じように,本能もコントロールされつつ,先代犬たちの優れた性質が保存/強化され,後の世代に受け継がれてきたのです.
優れた牧羊犬は,自立的に働く本能と能力を有しています.自分の能力を信じ,たった一頭の犬が何百頭もの羊を集めます.もしこれらの本能が理解されなかったり,育成や訓練が十分でなければ,どんな優れた血統の犬でもその能力を発揮できなくなってしまいます.可能性をフルに引き出すためには,犬を一頭ずつ見て,性格を見極め,適切に訓練しなければなりません.これは訓練者に課せられた使命と言えます.また,人間は力を合わせて仕事をする信頼できるパートナーであり,同時に尊敬すべき群のリーダーである...犬にこう思わせるのは羊飼いの仕事です.
ボーダーコリーは,気の荒い雌羊も易々と操るくらい,タフで荒々しい働き者ですが,驚くほど優しい一面も持っています.荒れた岩肌の上をものすごいスピードで駆け,恐くて人が行けないようなところにも簡単に辿りつきます.それでも群を守るため外敵に立ち向かうエネルギーを残していますし,その一瞬後には優しい保護者に変身して,はぐれた子羊を家まで連れて帰ったりします.
一般にボーダーコリーは感受性が豊かですが,この長所は悪戯好きでやんちゃな性格に隠れてしまうことがあります.そのため,特に牧羊と無縁な世界では,わがままや頑固な性格に誤解されてしまう傾向があります.
ボーダーコリーの重要な資質の一つに,慣れない状況や環境に自ら進んで適応しようとする習性があります.このため,彼らはもっとも万能な(versatile)犬種であると言われてきたのです.多くの子が,祖先から引き継がれた仕事ではなく,アジリティやオベディエンスやワーキング・トライアルに打ち込んでいます.意思が強く我慢強いこともあって,探索犬や救助犬として,そしてもちろん家庭では良きコンパニオン・ドッグとして活躍しています.
しかしながら,彼らがもっとも熱中するのは,羊飼いたちのスポーツであるシープドッグ・トライアルです.犬とハンドラーが共同で,羊の小さな群をトライアルコースに沿って導いていく技能は,見るものを魅了してやみません.特にインターナショナル・シープドッグ・トライアルでは,国で最高レベルの犬とハンドラーを見ることができます.
たとえどんな仕事が与えられたとしても,ボーダーコリーはいつも全力を尽くそうとします.これは100%断言できます.だから優れたハンドラーは,決してできないことを要求しようとはしません.仕事が難しければ難しいほど,よりエネルギッシュに,より強い意思で取り組みます.仕事を成し遂げる前にあきらめるようなコリーはほとんどいません.
また,仕事の能力とともに傑出しているのが,人生を目一杯エンジョイする能力です.ボーダーコリーたちは1分1秒を精一杯生きています.そういう意味で,彼らにとって,生きていることが「不幸」ということは,ほとんどありえないのです.
その一方で,人間に対してはおそろしく寛大です.人間に要求することは,仕事がこれでいいかどうかを判断して欲しい,ということくらいです.それ以上のことは何も望みません.また,たとえ人間の方に何か失敗があったとしても,慎み深くそれを受け入れます.恨みがましい気持ちなんかこれっぽっちも抱きません.忠実かつ誠実に,いつも人間を良きリーダーとして尊敬しています.
ただしこれは,人間の指示に対して疑問をはさまないということではありません.犬が仕打ちを恐がらずに質問できるということは,訓練する者の誇りと言ってよいと思います.人間には失敗がつきものですが,ほとんどのボーダーコリーは起きた失敗を人間に伝えるのが自分たちの仕事だと心得ているんです.
ボーダーコリーの瞳は彼らの心を映す鏡です.身体の奥深くから満ちてくる羊を従わせる力,幼いものや病気のものをいたわる優しさ,主人だけに抱く忠誠心,これらがその瞳に宿ります.ボーダーコリーは美しく見る人を魅了します.でも,それだけではありません.彼らは,自らの生を素直に受け入れ慈しむことによって,内面に隠れた美しさも合わせ持っているのです(He also has a hidden beauty in his simple love of life.).
もしボーダーコリーがしゃべると言ったら,あなたは信じますか?
犬が嬉しいときには尻尾を振り,怒ったときには唸ること,あるいは,関心を引くときや来客を知らせるときに咆えたり,おねだりの時に鼻声を出すことは,良く知られてますよね.でも,私がお尋ねしたいのは,ボーダーコリーが「本当に」しゃべることができると思うか?ということです.彼らには単にハンドラーの指示を聞いて従うだけでなく,言葉を返す能力があるんでしょうか?
もし人間だったらどうでしょう.何かの理由で言葉を失った人とは,会話することができないでしょうか?−そんなことはありませんね.その人のボディランゲージやその他のサインを読み取ることができます.私たちが聞く気にさえなれば,言葉を交わすのと同じくらい簡単に,コミュニケーションすることができます.
私は自分の愛犬たちと会話します.何年にも渡って彼らの行動を観察し,何が言いたいのかを聞くことによって,私たちは互いに会話できるようになったんです.
愛犬たちも,不満タラタラの様子で私に従わないときがあります.でも彼らの声に耳を傾けてみると,彼らの言い分が正しいということがよくあります.
それでは,このすばらしい会話術をどうやったら手に入れることができるんでしょうか? おそらく読者の皆さんは,ここで私が,「私が犬に話しかけながら広場を歩き,犬がそれに答えている?・・・まさか本気にしないで下さいね!」と書くと思われたんではありませんか? でも,私が言いたかったのは,まさにそういうことなんです.唯一違う点があるとすれば,犬の言葉は,彼らの口ではなく,私の口から発せられるということです.「もし犬がことばを使えたらこう言うに違いない」ことを,私が声に出してつぶやくんです.
今度は,私の正気を疑っておられる方もいらっしゃるでしょう.まあ聞いてください.読者のみなさんも,マンガのキャラクターの頭上に出る小さな吹出しの会話に,ぐいぐい引き込まれた経験があるでしょう.そう,犬の頭上にも吹出しをつけてみるのです.
典型的な例で見てみましょう.従順な普通の犬が,「呼び」のコマンドに従わずにあなたを見つめていたとします.あなたはここでどんな行動をとりますか? すぐに不服従と判断して,再び「呼び」をかけるでしょう.もし2度目の号令でも来なかったら,とっ捕まえて従わせようとなさるんじゃないですか? でも,もし犬の頭上に吹出しをつけてみたら・・・もっと楽しい方法があるかもしれないのです.
彼の採った行動は本当に不服従だったのかもしれないし,単にあなたの指示が理解できなかっただけかもしれません.あなたが彼の行動を誤解している可能性だってあるでしょう.でも,そこで終わってしまうと,あなたと犬の間のコミュニケーションは途切れてしまいます.もう一度最初に戻ってみましょう.そう,あなたは犬を呼んだけれども,彼はこちらを見つめて突っ立っています.そこで,犬の頭上に吹出しをつけてみましょう.次のようなことをしゃべっているかもしれません.
「今は戻りたくないんだよ」
「わかった.でも,今戻るとウサギの臭いを見失ってしまうんだよ」
「ごめんなさい.そこからは見えないと思うけど,その角の向こうに僕たちの友達が来てるんだよ.お願い,挨拶に行かせて.」
どれに対しても「不服従」ではちょっと厳しすぎますね.最初のには「だめです.私の言うことはちゃんと聞きなさい」,後の2つには「そうね,でもまずは,私の言うことを聞いてちょうだい」という会話が適当なところでしょうか? 号令を繰り返さなくてもコミュニケーションが成り立ち,犬は戻ってきます.
ワーキング・ドッグの場合を考えてみましょう.あるハンドラーが,初対面の犬に自信のないコマンドを出したとします.犬はコマンドを無視しつつも体をぴくつかせています.指示された方向へ向かう気配を見せて,「それで良し」という確認を待っているかもしれません.あるいは,あなたが間違ったコマンドを出したと判断して,彼の信じる方角へ向かおうとしているのかもしれません.もしハンドラーが頭上に吹出しを描かなかったら,対話の機会を失い,単に確認を求めているだけの犬を混乱させてしまいます.
それでは,どうして私が犬と会話できると確信が持てると思いますか? 犬たちと長く暮らし過ぎて正気を失った人間と誤解してほしくない理由は? 単純です.この方法が実際に役に立ってきたからです.
犬との会話を練習するときも,原則は5歳の子供と会話するときと同じです.実際,その方法論はすごく似通っているのです.例えば,頑固で個性の強い子供だとあなたに返答するチャンスすら与えてくれないかもしれません.でも,だからといって彼の意見を無視するのは良策ではありません.
そう言うと,私が犬の前に立って,会話するために10分間も辛抱強く待っている・・・そんな光景を想像なさっていらっしゃるかもしれません.そうではないんです.私は犬との対話を築き上げてきたと同時に,彼らとの強い絆つくりにも励んできました.私が緊急にアクションを起こして欲しいと思ったとき,犬たちはコマンドが発せられるや否や飛び出します.しぐさと声のトーンによって,彼らにその差し迫った状況が伝わるからです.
犬と会話する簡単なコツさえ掴めれば,犬との生活の緊張が和らぎ,ユーモアさえ生まれます.よく訓練され,知的で思慮深いボーダーコリーは,命令に盲従するような卑屈な真似はしません.彼らは自立した誇り高い動物です.大好きで尊敬している人を喜ばせたい,その一心であなたに尽くすのです.
私に怒鳴るように命令する人.私の意見に耳を傾けてくれない人.私はそんな人たちを喜ばそうと思ったことはありません.私が犬の会話を聞いてやらなかったら,どうして私のためにベストを尽くしてくれるでしょうか?
ボーダーコリーは作業犬です.家畜を追うことが生まれながらの本能です.そしてこの本能こそ,私たちが作業犬として彼らに求め期待するものですが,それが,コンパニオン犬として見た場合に,問題になることがあります.
ボーダーコリーが一般家庭のコンパニオンとして適しているかどうかは,ブリーダーや訓練士の間でも大きく意見が分かれるところです.
メインライン・ボーダーコリー・センターでは,彼らの作業本能を維持することが重要であり,他のスポーツやコンパニオンに適するように,この本能を消したり弱めたりすべきではないと考えています.しかし,ボーダーコリーにも色々な生き方があり,良きコンパニオンを求める家庭で暮らすものもいます.
たとえボーダーコリーが強い作業本能を持っていたとしても,理想的なコンパニオンになれない理由はどこにもありません.仕事と考える能力を強化するようにブリードされた犬は,必ずしも彼らになじみの無い新しい環境にも,比較的簡単に順応することができると,私たちは信じています.大事なのは,私たち人間が彼らを深く理解し,彼らと共に暮らす術を学ぶことです.
呼び(リコール)の効かない犬は,ブレーキの無い自動車と同じくらい危険です.呼びのコマンドは,有無を言わせず即座に効くべきですが,同時に楽しいものでなくてはなりません.この「即座」に,条件が付くようではダメです.「他人や犬がいなければ」「何か興味をそそる臭いが無ければ」帰ってくるというのは,呼びとは言えません.
人間で言えば,普段は良い子にしているのに, (a)親の指図から逃れて,(b)その間に何か獲得できる,と思ったときに,たとえ短い時間にせよ,言うことを聞かなくなる子供と似ています.こんな子供は,両親に心服しているとは言えません.同じように,他に誘惑が無い時だけ帰ってくるような犬は,群のリーダーに対して敬意を払っていないのです.
呼びが即座に効かない犬のほとんどは,それが不服従だと思っていません.というのは,その飼い主(あるいは過去の飼い主)が,呼びのコマンドには交渉の余地が無いことを教えていないのと同時に,何度もコマンドを叫んで,ようやく帰って来た子を誉めることによって,「即座に帰らなくても良いんだ」と教えているからです.
どうして,こうなってしまうんでしょうか? もし犬を即座に戻って来させようとするなら,コマンドは一度だけにし,それを無視させてはいけません.そして,常にコマンドの聞こえる距離に犬を置いておくべきです.群のリーダーを受け入れ,尊敬し,指示に耳を傾けるようになるまでは,犬をオープンスペースでフリーにしたり,遠くに行かせることは感心できません.
ハンドラーが群のリーダーになり切れていないなら,呼びも駆け引きの対象になってしまうでしょう.だから,これは呼びだけの問題ではなく,リード付きで正しく歩けるかとか,行儀良くできるかとかいったことも含まれており,さらには,あなたを尊敬しているか否か,という問題でもあるわけです.
呼びは「嬉しい」ことであるべきです.犬に,最初の一声で飼い主の元に「駆けつけたい」と思わせるべきだし,コンタクトできないようなところまで「離れたくない」と思わせるべきです.難しいことではありませんが,行儀の良さを通じて絆を深めることと一緒でないと意味がありませんし,チョークチェインや,引っ張りや,悲鳴や,飼い主や犬に対する苦痛などを伴うようではいけません.
攻撃的な犬には呼びが効きませんから,散歩中に自分の犬が他の犬にからかわれるのを嫌がる飼い主もいますし,犬が近づいてくること自体が嫌いな人もいます.呼びの効かない犬は,いつも事件を引き起こす可能性を秘めています.それに,即座に呼びに応答しない犬は,自分に主導権があると思っているのです.
たとえ少しでも,コマンドや行儀に注意を払うことで,何か大事なものを置きざりにしてでも,大好きなあなたの元に喜び勇んで駆け戻ってくるようになります.そういう愛犬を眺めるのは,本当に楽しいものです.言葉に言い表わせないくらい...
特に子犬に関して,「社会化」という言葉をよく耳にします.私も「社会化」の重要性については異論がありませんが,そのコンセプトに疑問を感じることがあります.
多かれ少なかれ,犬は私たちの生活様式の中で社会化を学ぶ必要があります.人間の子供と同じように,仲間と引き離された犬は,知らないものと会うことに臆病になるものです.そして,これも子供と同じですが,どうしても気に入らない誰かと,無理に一緒にいるべきだと思い込む必要もありません.それなのに,「 "近所の誰それと相性が悪い" 問題を解決してください」という依頼が,たくさん私の元に舞い込んできます.
どうしてなんでしょうか? 私だったら,私の子供と,子供が好きになれない誰かを,一緒させようとは思いません.その人と距離を置きたいという,子供の希望を尊重しますし,そうしなければいけない時には,仲良く会ってほしいという私の希望を,今度は子供が尊重してくれます.子供も犬も同じだと思います.これを,「尊重によるコントロール(control with respect)」と呼んでいます.
さて,子犬の社会化クラスはどうでしょうか? 少なくとも,あなたが愛犬を参加させようとするときには,正当な理由をもって,かつ正しく参加させるようにしてください.たまたま余分な収入があったから,というのでは困ります.
2組の犬の群が接近するとどうなると思いますか? 混ざり合って一つの群になることは,決してありません.穏やかにすれ違うか,せいぜい挨拶を交わすくらいでしょう.群のメンバーはそれぞれのリーダーが誰かを知っており,何か行動プランに変更がないか,片方の目は注意深くリーダーに向けられています.子犬は群から離れません.
ところが私たちは,まだ人間を群のリーダーとして理解していない段階で,子犬たちを一緒にして「好きなように」させています.この種の「社会化」は,それほど必要ではないかもしれません.リーダーを信頼している犬は,他の群が近づいたり,一緒になったとしても,自信を持って行動するものです.
この犬たちにはいろんな呼び名があります.ボーダーコリー,牧羊犬,ハーディング・ドッグ,ワーキング・ドッグ,忠実,誠実,知的...私の馴染みが深いのはこんなところです.
でも,こんな芳しくない評判もあります.はしっこい,追っかけ屋,噛みつき野郎,神経質,ハイパー,過敏...そして,これを聞くとつい頭に血が上ってしまうのが, 「子供と相性が悪い」 というやつです.
この犬種に対する人々の態度に関して,私も何度か記事を書きました.でも私が,本当に 「ボーダーコリーって誤解されてる」 と感じたのは,子供との関係についての記事を,インターネットで見かけたときです.その記事の意図するところは良くわかるにしろ,特定の犬種に悪い性質があることを喧伝しても,何も得るところが無いと思いました.長所と短所を紹介したその記事には, 「ボーダーコリーは羊を追い回し,噛みつくようにブリードされてきたため,子供とは相性が悪いのです.子供と一緒に庭に離してやると,犬は子供を羊のように扱うでしょう」 と書いてありました.
その時は我が目を疑いました. 嘘! 今,本当に私はそんな記事を読んだの? ...残念ながら,そうだったんです.
働き手の世代交替が必要になれば,私も自分のメス犬からブリードします.でも,これだけは誓って言えます.確かに彼らは牧羊という仕事用にブリードされてきましたが,それは,羊を追いかけ回したり,噛みついたりするためではありません.また,それを許されることもありません.私たちは,決してそんな犬を望んでいないのです.
彼らは牧羊のため,しかも目の力や意志の強さで仕事するために,ブリーディングされてきました.ボーダーコリーは,迷った子羊を鼻先でそっと押して群に戻してやったり,反抗的な雌羊でも目の力で操縦しようとします.そういう姿を一度でも見た人なら,噛みついたりする必要が無いばかりか,牙を使うことが第2の本能でないことだって,すぐに理解できるでしょう.
「この犬はもともと狩猟/殺傷動物なんだから,そういう本能は尊重されるべきだ」 と主張するのは,私が最初かもしれません.でも,それはどんな犬種でも同じことなんです.そもそも,子供に対して絶対に安全な犬種なんてありませんし,どんな瞬間でも,犬の頭の中で何が起きているか分かる人はいません.逆に,犬への接し方に関して子供が完全に信頼できると主張する親御さんたちにも,私は反対を唱えるでしょう.
でも,はたしてそれが問題なんでしょうか? 人々はどうして 「子供と相性が良い」 ことを犬に求めるんでしょうか? 私の子供たちは犬たちに囲まれて育ち,まったく問題はありませんでしたが,私は,子供たちの安全と同じように,犬たちの希望も尊重してきました.私の飼い犬たちはみんな, 「安全な家」 を持っています.家族であれ他人であれ,その家に侵入しようとした子供は,みんな思い知らされました.
もし誰かさんが 「あなたの犬は子供でも大丈夫ですか?」 と尋ねてきたら,私はきっとこう聞き返そうとするでしょう−「あなたのお子さんこそ,犬に対してどうなんですか?」
次のようなやりとりが,昔から繰り返されてきました.「ボーダーコリーは,仕事場以外のところで暮らす必要があるのか?」 という問いかけと,それに対する 「彼らはすでにいろんな環境の家庭で暮らしている.それに,オベディエンスやアジリティなど,どんなスポーツに参加するにしても,一般家庭の環境に接することになる」 という回答です.そして, 「一般家庭の環境」 には,当然,子供たちも含まれるのです.
私自身は,問題は家庭のタイプにあるのではなく,むしろそれぞれの人にあると,固く信じています.分別の無い子犬の購入やブリーディングがあるからといって,この犬種そのものを非難することは適当ではありません.正しい食餌と正しい基礎訓練 (これが重要なんですが,現実は十分とは言えません) さえあれば,ボーダーコリーは私たちが誇るべき犬です.
フードの話題は尽きませんね.特に,「自然食」とか,野生食に戻そう,などという話もあって,ややこしい状態になっています.多くの飼い主さんが,自然食を与えてないことで,愛犬に対して悪いことをしているように感じているし,合成食を与えることに罪悪感を覚えてもいらっしゃいます.私たちも Freedom of Spirit の中でフードについて連載記事を掲載し,その中で,愛犬のために何がベストかをどうやって決めれば良いかを述べてきました.フードに関してお悩みの方には,以下の話しも参考になるのではないかと思います.
野生の犬は,殺したばかりの新鮮で暖かい肉を食べますし,肉が古かった場合は,辺りをうろついて,整腸効果のある草を食べることができます.犬の本来の習慣から言うと,私たちが食用として手に入れることができる肉は,決して「新鮮」ではありません.地面や草やとうもろこしや家畜の飼料は,すでに自然のものではありませんし,ほとんどの家畜には薬が投与されています.
私は犬の飼い主であると同時に,農場で暮らす人間でもあります.だから,犬以外の動物の栄養学にも馴染みがありますし,すべての家畜飼料の中に添加物が入っていることも知っています.私はこれを自分の犬のために勉強しました.商用の家畜は,早く成長してライフサイクルのスパンが短くなるように給餌されています.
これが,「新鮮な肉」の正体なのです.もし,自分の庭にウサギを飼って,犬に狩をさせて食べさせたとしても,すでにそのウサギには添加物が含まれているのです!
これまで,骨は犬の食事の中心的なものとして扱われてきましたが,実は骨の髄に栄養があることや,野生の犬にとっては武器である牙をケアするために必要であったということは,案外忘れられています.家庭犬でも同じことが言えますが,医学的なケアを施すことも可能です.
最近の牛の騒動から,人々は骨に対してかなり注意深くなりましたが,生チキンの骨の方が,他の骨に較べてはるかに多くの添加物(抗生物質)が含まれていると断言できます.チキンの廃棄物に関して多くの報道がなされているのは,このためです.牛騒ぎの影響で忘れられがちになっていますが,はるかに重要なことだと思います.フルーツや野菜だって殺虫剤の影響を受けないわけにはいきませんし,たとえ有機栽培にしたとしても,今度はその他の食べ物の添加物を心配しなくてはいけません.
現在,私たちの食卓にはさまざまな食べ物が並びますが,ファーストフードが現われる以前は,もっと「退屈な」ものでしたし,遠い祖先は,犬たちと同様,未調理の肉と野菜という,「退屈な」食べ物を食べていました.
何があなたのために良いかなんて,誰にも決めつけることはできません.現状であなたとあなたの愛犬がハッピィなら,余計な心配は無用です.流行や,あなたが犬に合わないと判断したものに惑わされる必要はありません.あなたの愛犬の生活や行動が,食餌によって改善すると思われる場合は,検討する価値があると言えますが,単に種類や自然食が少ないからといって,罪の意識を持つ必要はありません.私たちはもはや「自然に」食べることはできませんが,良識にしたがって食事を摂ることは有益です.そう,良識(あるいは常識)こそが,あなたの愛犬にとって何よりのフードです.
遊びは恐い?
犬は,彼らにだけ通じる方法で遊ぶので,人間は彼らのアクションから解釈するしか手がありません.ただ,一つだけ確実に言えることがあります.それは,彼らはいつも同じペース,同じ方法で遊ぶわけではない,ということです.すべてのゲームは,もともとサバイバルが目的だったかもしれませんが,犬たちがみんな同じ身体サイズや柔軟性,強さやスピードを持っているわけではありません.犬の個体差が考慮されないと,傷ついたり,仲間と不仲になる危険があります.
2頭の犬たちは遊んでいるんでしょうか,それとも闘っているんでしょうか?

実は,彼らは遊んでいます.彼らの身体はしなやかでリラックスしていますし,動きは流れるような印象を与え,さらに身体が空中にあるからです.形勢が不利になるので,コンタクトの瞬間を除き,闘いの最中に身体を空中に浮かす犬はほとんどいません.
写真を注意深く見れば,たくさんのことがわかってきます.例えば,空中の犬が自分の身体で他の犬を包み込むようにしているところや,左前肢でバランスを採ろうとしているところなどです.一方の犬は身体を沈め,大きな犬の首に食らいつく絶好のポジションにいます.後ろ肢を地面につけていますので,「地面とのコンタクト」を使って相手より優位に立つことができそうです.しかしまた空中の犬は,スピードと体重を利用して,地に足のついた攻撃の機先を制することができそうです.たったひとコマの写真ですが,まるで,しなやかで美しいダンスを見ているようです.
そう,たしかにこの犬たちは遊んでいますが,それがどれほどパワフルなものか,ご覧になっていただけるでしょうか.同じようなゲームを,身体が小さい犬や,柔軟性の無い犬がするとしたら,どうなるでしょうか? また,ずっと身体の大きい犬種とコリーの組み合わせだったらどうでしょうか? おそらくコリーは,そのスピードと柔軟性を利用して攻撃をかわそうとするでしょう.そうでないと,ケガする危険があるからです.
遊びがケンカに発展すると,人間だろうが犬だろうが,従うべきルールは無くなります.しかし,犬が人間にしつけられている場合は,みんなが同じ意図を持つわけではありません.喜んで闘う子もいれば,そうでない子もいます.
複数の犬種や,異なるサイズの犬たちが一つ屋根の下で暮らすとどうなるでしょう? 彼らは同じゲームで遊ぶことができるでしょうか? 下の写真をよくご覧になってください.これだけ身体を傾けて走ってもバランスがとれています (訳者註:著者が写真を添付し忘れてたようです).そのスピードがどれほどのものか,想像なさってみてください.この犬はすぐに,もっと小さくて運動能力の低い犬を圧倒するでしょう.その結果その犬は神経質になったり,もっと悪い場合には,踏ん張ろうとしてケガを負う羽目になるかもしれません.
コリーと,もっと小さくて体の堅い犬が一緒に暮らし,普段から監視が無いところで一緒に遊ぶような環境を考えてみましょう.普通はコリーが相手をうまく操るでしょうが,小さな犬は身体サイズの差を利用して,下から攻撃するかもしれません.しばらくは両者とも穏やかでしょうが,急に一方がイラついて「遊び」が真剣になる可能性もあります.一旦犬の関係が険悪になり始めると,攻撃的な行為が習慣になるかもしれません.犬たちの仲が悪くなければ,攻撃性は問題にならないでしょう.でも,まったく違う犬種,あるいは違う体格の犬と監視無しで遊ばせていることが原因になって,あまりにも多くの犬がケガを負っています.
永久的なケガ
この種のケガは一時的なものですが,犬の肢や腰や背骨に永久的なダメージを残すケースも多く見られます.コリーがいつも相手にケガを負わすとは限りません.ケガする側に回ることも頻繁にあります.犬のオーナーは,よく体格で犬を区別します.大きな犬種の好きなオーナーなら,コリーとジャーマンシェパードが一緒に暮らしているのを見ても驚かないでしょう.シェパードがコリーの背中や腰にダメージを与えるような激しさで遊ぼうとした場合,コリーとしてはそのスピードと頭に頼らざるを得なくなります.
サイズや柔軟性だけでなく,年齢も問題の原因として考える必要があります.若い犬の骨や関節は傷つきやすいものです.特に,子犬と遊んだ経験が無く加減する術を知らない成犬の場合,遊んでいる最中に若い犬に大きなダメージを与えてしまう可能性があります.そしてこのダメージは,何ヶ月も,場合によっては何年も潜伏することがあります.この場合,激しい振動や衝撃がきっかけとなって,問題が表面化するのです.
犬も,仲間と遊ぶときに相手の安全を考えないわけではありません.しかし,犬種が違うと「アニマル」ゲームに対するアプローチの仕方が異なります.コリーはハーディング本能を持った捕食動物であり,すべてのゲームはこの本能によって方向付けされます.ジャーマン・シェパードはハーディング本能は持っていませんが,強い防御本能を持っており,強さとスピードを兼ね備えた捕食動物です.レトリーバーがこれらの犬種とまったく異なるゲームで遊ぶことも明らかでしょう.さらに,体が小さくてキャンキャン吠える犬になると,大きなハンティングドッグとの共通点はほとんどないと言ってよいくらいです.
「アニマル」ゲームを考えるときは,これらを考慮しなければなりません.彼ら自身の世界では,犬たちはその本能に従う術を知っています.ゲームによって本能を養うために,各犬種はそれぞれ固有の方法を持っています.
アニマルゲーム
子犬たちは,自然な「アニマル」ゲームで遊びますが,ゲームが乱暴になってくると,年長犬に制止されます.子犬が充分に成長する前に年長犬たちのゲームに入っていこうとすれば,拒まれはしないものの,身体の差を考慮した立場に置かれます.年長犬が子犬を教育するときは,ダメージを与えずにどれくらいのプレッシャーを与えても良いかを心得ています.実際,もし子犬を傷つけてしまえば,彼らは帰るべき群を失ってしまうのです.これは群の掟なのです.
子犬が母犬のもとを巣立ち,人間の「群」に入ったとき,すぐに理解できるゲームに出会うことはほとんどありません.私たちは自分たちが理解できるゲームを教えようとするからです.人間にボールを投げるとそれをキャッチしますが,骨を投げても無視されます.犬に骨を投げればそれを食べようとしますが,ボールを投げても理解できません.私たちがボール遊びを教えるときには,犬に主導権を与えることはほとんどありません.私たちがオーガナイザであり,犬に何をすべきかを伝えます.
しばしば私たちは,だんだんと強く激しくなるようにゲームを教えますので,犬には自分自身の強さを学ぶ機会がありません.この種の犬は,小さな犬や年少の犬に対しても「人間の」ゲームを続けようとし,相手の弱さに注意しようとはしません.彼らには群を守る必要が無く,また群との関係において自分の行動を考えるように教育されていないからです.
孤立した犬
1頭だけで人間の群の中にいる犬はどうでしょうか? この場合,他の「家庭」犬を傷つけたり,逆に傷つけられたりする危険はありません.彼の遊びは,もっぱら人間が用意したボールや枝投げになります.ジャンプしたり,体をひねったり,急転回したりするわけです.その結果,「アニマル」ゲームをする犬と同じような傷害を負うことが頻繁にあります.
子犬に辛抱強く付きあえないとか,群の年長メンバーになれないといった,人間の欠点を犬に押しつけないためにも,ときどきは,ちょっぴり犬のようにふるまうことも必要だと思います.
10年前のこと,娘のビキが飼っていたメスのネルと,私のチップとの間に,5匹の仔犬が生まれました.生後2週目に入った頃,そのうちの一匹の具合が良くないことがわかってきました.実際,その子はおそろしく貧弱だったので,母親であるネルでさえその子を見限り,自然の淘汰にまかせようと決心したようでした.
獣医さんもネルに賛成し,その貧弱な子を眠らせるよう,私にアドバイスしました.でも私は彼女を連れて帰り,たっぷりのTLC (?) を与えて,彼に生きるチャンスを与えることにしました.彼は,ミルクや肉をはじめとして,ほとんどすべての物に対してアレルギーを持っているようでしたので,私は仕事どころではありませんでした.
長くなるので,その後の経緯は省きます.
今や,ピップも10歳になり,羊を追うハンサムな子悪魔に成長しました!
そして...あのみすぼらしく臭かった子がTVスターになるなんて,10年前に誰が想像したでしょうか?
彼は他の15匹の犬舎仲間とWOOFに出演しましたし,Peak Practice第11話の 「犬」 役をこなしました.CTVのOut of Sightにも出演しましたし,Cumbrian Tourist BoardのためにWebサイトも立ち上げました.その他にも,イギリスやアメリカのテレビ番組にたくさん出演しました.
さて,テレビ犬との暮らしがどうかというと...ハードであることは確かです.例えば,Peak Practice の撮影のときは,寝ぼけ眼のコリーたち (ピップのサポート役です) を引きずりながら,羊と道具を車に積み込んだのは朝の4時でした.撮影は4日間に渡りましたが,2日間は羊と一緒に,残りは羊無しで行われました.ピップはまさしくヒーローのように,与えられた役をこなしました.合図を読み取り,リテーク毎にどこに立つべきかを的確に思い出しました.
少女たち(15頭の羊)がエリカの庭に乱入するように,ピップに激しく追わせるように依頼されたときでさえ,私たちは心配しませんでした.そこから100ヤードも離れたところが,一番にぎやかなメインロード(?)でしたが,それはカメラの外の出来事でした.やっかいだったのは打ち捨てられた囲いでした.私ときたら,カメラマンや出演者の目の前で,囲いのゲートを繋ぐロープにしっかりつまずいて見せたんですから...
でも,何と言っても一番愉快だったのは,パブで撮影した1シーンでした.
まだ幼くて身体も弱かった頃,ピップは電灯に照らされて壁にできた影を,何時間も座って見つめていたものでした.だから,出番になってパブに入ったとき,彼の目にはカメラのための照明しか目に入らなかったのでしょう.そのときに彼の感じた恍惚感が想像できます? 俳優であることを思い出して演技を始めるまで,結構な時間がかかってしまいました.
トライアルのシーンでは,薬に酔ったような演技が要求されましたが,実際は一粒だって薬を使わなかったんですよ! 羊に歩み寄ってから,急に集中力を失ってヨロヨロする真似をするのは,優秀なワーキング・ドッグにとって大変なことです.彼の注意を羊から逸らし,よろける演技に向けさせるためには,ある魔法の名前を呼ばなければならなかったんですが,その名前だけは誰にも明かせません.犬と私の間にも,節度ってもんがあるということです.
(訳自信無し: I refuse to tell anyone the 'coochy coo' names I had to call him to get his attention from the sheep and onto his 'poorly cue', I mean both dog and I have to keep some street cred.)
さて,ピップは今どうしてると思われますか?
嬉しいことに,スターになってからも,彼は少しも変わっていません.今でも羊を追ってますし,普段はゴロゴロ過ごしてます.電灯だって,まだ忘れずに見張ってるんですよ!
それまで無縁だったいろんなことを知ることができ,私にはとても楽しい経験でした.
なにより,コリーは何だってこなせるということ,そして1日の終りには誠実な働き者に戻るってことも!

コンピュータを操る (?) ピップ
拙書 "Understanding Border Collies" の読者の皆さんは,終章の締めくくりのメッセージをよくご存知でしょう.
「あなたはもっとも気高い部類の犬種の保護者です.
ボーダーコリーとの生活の一分一秒を,存分に楽しんでください.」
この犬種の保護者として,私たちは彼らの未来を真摯に考える必要があります.なぜなら今,私たちは先祖が何世紀にも渡って残してくれた,この犬種のクオリティを失う危険に瀕しているかもしれないからです.クオリティ...そのすばらしい水準が維持できるなら,この傑出した犬種が呼吸する空気と同じくらい貴重なものです.(訳自信なし:A quality that is as precious as the very air this magnificent breed breathes if it is to retain its wonderful qualities.)
巷には,コリーとそのワーキング特性について書かれたものが溢れています.でも,そのほとんどはハイパーアクティブ,追っかけ,噛みつき,破壊屋といった好ましくないものです.他の犬種はみんなパーフェクトだと言うんですか? これらの 「悪行」 の責任は,ボーダーコリーという犬種にあるのではありません.不適切な食餌や管理,コミュニケーションなどが,BC シンドロームと呼ばれるような状況を引き起こすのです.
この犬種を理解することは,トレーニングや管理に役立ちます.しかしその知識には,犬種の祖先やこの犬種を最良に保つべく管理してきた羊飼いたちへの理解が伴わなければ意味がありません.祖先犬や羊飼いたちの知識が無ければ,馴染み深いボーダーコリーは存在すらしていないのです.
最近,タブロイド版新聞の一つが,コリーの 「専門家」 を自称する記者による記事を,大きく掲載していました.その記者は 「家庭犬であることのストレスから,塀をよじ登ろうとするワーキングコリーたち」 を目撃してきたのだそうです.そしてこの記事は,「購入するときには,家庭用にブリードされたコリーを選択すべきである」 というアドバイスで結ばれていました.
私たちが思いを馳せる,そして心から愛しているコリーはシープドッグであり,そのためにこそブリーディングされてきたのです.
自律的な判断で仕事を進め,問題を解決し,すべてを人に捧げようとするすばらしい知性は,長年かけてブリードされてきたものです.そしてこの知性は,たった数年の不注意でお粗末なブリーディングで,いとも簡単に消え去ってしまうのです.
もし,強いワーキングラインのボーダーコリーの潜在的能力に疑問を感じる人がいるなら,スーザン・ロス女史の3頭の犬をご覧になるといいでしょう.
スポット(10才半):
ナショナル/インターナショナル・トライアルの出場犬であり,何年もの実作業経験もあるスコットランドで最も優秀な犬の1頭である.今は現役を退き,家庭犬としてスーザンと暮らしている.
グレン(7才):
スポットの息子.羊に対して飛びぬけて力強く強気である.身体も大きい.
メグ(20ヶ月):
グレンの娘であり,すでに羊を追っている.
この3頭は何が特別だと思われます? 何もないんです! 彼らは毎日をあるがままに受け入れています.時には厄介ものになったり,愛嬌たっぷりの子になることもありますが,みんな強いワーキングラインのボーダーコリーであり,羊を追います.
グレンはたまたまショウ・リングで勝ちましたし,スポットはトップクラスのトライアル犬になりました.メグはずっと家族のあとをついて回っています.3頭とも家の中で暮らしており,そしてこの年のセラペット・オブ・ザ・イヤーに揃って輝きました.
無償で与えること...これこそがボーダーコリーの本分であり,彼らのもっとも輝く瞬間です.そして,あなたが繁殖したりあるいは未来を慎重に予想してブリードしようと考える前に,何百年もの懸命なブリーディングが我々に与えてくれる喜びです.
将来,ワーキングドッグたちを維持するのに十分な羊がいなくなる,という話もあります.だからといって,仕事のための能力が弱められると考えないで下さい.コリーたちは今でも探索やレスキュー活動で活躍しています.薬を探したり,人間のてんかんを予見したりしています.羊の数よりは,それを無視するようにブリードされたシープドッグの数の方が,ずっと重要な問題です.
私たちは保護者の一人として,前世紀が産み出したこのすばらしい犬種を維持すべく,それぞれができる限りの役割を果たすべきです.友人,心の友,仕事仲間,パートナー,そしてシープドッグを世に残すため...
ほとんどの犬は穏やかに,運が良ければ病気や怪我に縁無く老いていきます.老犬と暮らす上で,私たちが一番胸を痛めるのは,動作が緩慢になり,1年前にはできたことができないと認めるときかもしれません.
犬がどんなに長生きしても,私たちの人生に較べれば短いものです.ついこの間まで,ちょこちょこ走り回るいたずら好きの子犬だと思っていたら,いつの間にか,コートに灰色の毛が混じっていたり,手足がちょっぴり堅くなったりしています.それでも,犬は疑問すら持たず,老いを受け入れます.自分の若い頃がどうだったか?などと思い悩んだりしません.自分の人生を生き続けるだけです.だから,どれだけ自然にしてあげられるかどうかは,私たちにかかっているのです.
年齢による衰えを感じたときには,まず食餌を考えてあげてください.身体が変化すれば,必要な栄養も変わります.何年も同じ食餌なら,身体に合わせて調整する必要があります.店には優れた老犬用のフードが並んでいますし,腎臓や肝臓に障害がある場合には,専用食が良いでしょう.食事量も少なくなりますが,もともと人間ほど頻繁にたくさん食べる必要が無いので,それほど問題にはなりません.しかし,普通の食餌からきちんと栄養が摂れないようであれば,脂肪や微量の滋養成分を摂るために,ツナやサバ,イワシなどを食材に加えるのもいいでしょう.ただ,こういったことはどのみち試行錯誤の問題です.そういったフードを受けつけない犬もいれば,うまくいく犬もいます.ただ,犬の状態をできるだけ長くベストに保つには,食餌が重要であることだけは確かです.
犬も年をとれば耳が遠くなります.散歩だけでなく家の中にいるときでも,このことに気を使ってやる必要があります.騒音は大きくなったように聞こえます.例えば掃除機の音は,たとえ慣れていたとしても,寝ているときや予想していないときに聞かされると,ショックを受け怖がるようになります.散歩の時に匂いとりに夢中になっている犬は,近くから呼んでも気がつかないことがあります.そんなときに身体に触れば,びっくりして飛び上がるかもしれません.常に,あなたが何をしたいかを犬に教えてあげ,危険な場所を避けるようにしてください.散歩の時にはあまり遠くをうろつかせないように,また,頻繁に立ち止まってあげることを忘れないでください.私たちと同じように,彼らも自分がどこにいて何をしていたか忘れるようになります.白昼夢から覚めたとき,見知らぬ他人の顔より,あなたの穏やかで馴染み深い顔が傍にあることを,これまでにも増して強く求めるようになります
視力も年とともに低下してきます.近視や遠視になる場合もありますが,めがねをつけることはできません.しかし,時間さえ与えてやれば,彼らは自分で調整できるようになります.何かを注視しようとして焦点が合わないとイライラするものですが,そのうち,自分から適当な距離をとることを覚えていきます.これも無理になってくれば,視力が失われたことを受け入れ,他の感覚を利用したり,注意深く移動するようになります.彼らを哀れんだり,大騒ぎする必要はありません.その代わり,彼らの気づかない障害物を避けてやったり,家具や庭や生活習慣をできるだけ変えないようにしてやることが重要です.
犬が年老いる頃には,その身体は隅々まで馴染み深いものになっているでしょう.でも,こぶや腫れ物は定期的にチェックしてやってください.犬はよくこぶやイボを作りますが,普段からチェックしていれば,獣医に見せる必要があるときもすぐに気がつくでしょう.
年をとれば四肢の柔軟性が失われるため,犬も階段の昇り降りがつらくなります.このような場合,犬の寝床は一階にしつらえてやった方がいいでしょう.階上に置いてしまうと,外に行くときに大きなストレスとなったり,帰ってこられなくなる場合があります.あらかじめ準備をしてプランBを用意しておくことも良いアイデアです.そうすれば,何らかの理由で生活習慣を変えるときに,新しいことに少しずつ慣らしてあげることができます.私たちは夜にトイレに行くことがありますが,犬は外に出なくてはなりません.昼も夜も頻繁に外に連れ出してやるようにします.また,失敗しないように水分の摂取量を管理する必要があります.
最良の友人が人生の夕暮れに近づいているとき,無理に新しい犬を迎えるのは考えものです.自然な成り行きにまかせてください.それが犬にとってストレスになるようなら答えはNoです.ストレスや嫉妬の心配が無いようであれば,老犬も仲間を作ることができるでしょう.早急に犬を代えたり新入りを迎えるのではなく,相棒が教えてくれる自然な老いと,そのつきあい方にじっくり向きあってあげてください.そうでなければ,きちんと老いを学んでくれそうにないのに,どうして忍耐と愛情をあなたに示すことができるでしょうか?
犬の中には,一生病気にならず獣医の世話にならない子もいますし,それほど幸運でない子もいるでしょう.熟年にさしかかっている子もいれば,青年期の子もいます.一寸先には何が起こるかわかりません.ただ一つだけ確かなことは,彼らはたくさんのやさしい思い出を残してくれるということ.そして,自分の跡をついてくる人間たちを,空の上からおもしろがって眺めているに違いないということです.
もし時計が無いとしたら,私たちはどうやって生活するんでしょう? 私たちは決まった時間に眠り,決まった時間に起き,決まった時間に仕事を始めます.お茶の時間があって,昼休みがあって,そして帰宅の時間がやってきます.それから食事の時間があって,決まった時間に眠り...
みんながみんな,時間に縛られて仕事しているわけではありません.自分で仕事をする人は,ある程度自分でスケジュールを立てることができます.それでも,その日のうちに片付けなければいけない仕事はあるわけで,できなければ夜遅くまで働くか,翌日に 「取り戻す」 必要があります.
決められたスケジュールは無いけれども,それでもプレッシャーを感じている人たちもいます.家庭の主婦や母親は,食事や学校の時間に合わせなければなりません.家族のメンバーが時間を守るのを助けるために,やっぱりプレッシャーに晒されています.
ただこれらは,必要なことでもあります.そうでなければ秩序が保てないとか,できないことだってあるでしょう.難しいのはスイッチを切ることなんです.そして,締め切りとスケジュール表とプレッシャーの世界の中で,これがまずます難しくなりつつあります.私たちはいつも追いかけっこをしているようですし,悲しいことに,何かに追いまくられていないと,それを後ろめたくさえ感じてしまいます.
私たちは,「それは昨日中に片づけておくべきだった」 という風潮のプレッシャー社会で暮らしています.その良くない面があるとすれば,何かを片付けたいと思うことではなくて,多分,何を目指しているのかを見失ってしまうことでしょう.
(中略: ごめんなさい.英語が良くわからなかったもので...)
さて,犬との関係ではどうでしょうか.やはりプレッシャーが重くのしかかっています.血統,トレーニング方法,いつどこでどれくらい散歩するのか...みんなプレッシャーになります.そう,犬種や名前を選ぶことさえ!
人間は自分を弁護することが得意ですし,そうでなければ,責任を背負うことを知っています.犬たちには自分を弁護するチャンスはありません.幼い子犬たちは 「早期トレーニング」 に駆り出され,子犬向けの競技会が企画され,数え切れない練習を積むことを期待されています.でも,呼びやリードをつけた散歩が満足にできる子はほとんどいません.
一体,私たちはどうしてしまったんでしょう?
どうして,彼らを自然に育むことができないんでしょうか? 一番大きい...ベストの...飛びぬけて綺麗...色が最高...そんなことが重要なんでしょうか? よくわきまえた,お行儀の良い子犬が群の中で犬らしいことを楽しむ以上のステキなことってあるでしょうか? それは,自分自身で遊んだり,自分でゲームを作って楽しんだり,考えることを学んだり,人間を邪魔されず何かを辛抱強く観察することなどです.もし私たちに問題があるとすれば,それは子犬のすべてに対して気が回りすぎるため,気づかないうちに彼らの子犬時代を奪ってしまったり,あるいは成長を阻害してしまうことだと思います.
犬がいろんなことができるような歳になると,またもやプレッシャーです.
「競技に出ないんですか? 残念ですね」...これは一種の脅迫です!
「一緒に何かするわけでもないのに,犬を飼うなんて無駄でしょう」...これだって立派な脅迫です.
犬の中には,一生病気にならず獣医の世話にならない子もいますし,それほど幸運でない子もいるでしょう.熟年にさしかかっている子もいれば,青年期の子もいます.一寸先には何が起こるかわかりません.ただ一つだけ確かなことは,彼らはたくさんのやさしい思い出を残してくれるということ.そして,自分の跡をついてくる人間たちを,空の上からおもしろがって眺めているに違いないということです.
その他にも,人々の自信を奪いプレッシャーをかける方法があります.「まだ,犬を去勢していないんだって?」 逆に避妊を済ませていれば,今度は誰かから「年取ってから行儀が悪くなって太るよ」と言われること請け合いです.済ませていなければ,「すぐに避妊しないと.でないとホルモン異常を招きますよ」.
頭が混乱して,何がベストかがわからなくなるときがあっても不思議ではありません.そんなとき,確かにちょっとしたアドバイスは有効です.でも,それから自分で心を決める時間が必要です.競技に参加しないからといって,駆け足の速い犬や賢い犬を飼っていないからといって,あるいは親犬がチャンピオンじゃないからといって,それを後ろめたく感じるのは馬鹿げています.
昔ながらの羊飼いたちの言葉を紹介させてください.
「若造なんかすぐに燃え尽きてしまうさ.犬にはみんな限られたピークの期間ってもんがある.だから,成熟したときにそれが来るようにしてやるんだよ.そうすれば,犬を無駄にすることがないからね」 現在,この言葉を肝に銘じるべき競技ハンドラーがたくさんいますし,同じことが,私たちみんなに対して言えると思います.
ボーダーコリーへの個人的想い
これが人間としての習性なんでしょうか,私たちには今の状態を肯定する傾向があります.ものごとがうまく行っているときに,わざわざ寝た子を起こすような真似はしません.ただ同時に,私は典型的な女性の一人でもあります.たとえ歓迎されないことがわかっていても,子供が寝ているゆりかごを揺すってみたくなるときがあります.
ある一つの問いかけが私の頭から離れません.気の合った人たちと話してみると,彼らも同じ疑問に悩んでいることがわかってきました.それは, 「これからボーダーコリーはどうなっていくんだろうか?」 ということです.彼らにはどんな未来が待っているんでしょうか?
今現在に限って言えば,まったく心配ないようにも思えます.でもそれって本当? これから,純粋なボーダーコリーが何世代も続くんでしょうか? 今の姿とはかけ離れた犬になってしまうんじゃないでしょうか?
過去,犬種だけでなく私たちの生活様式も大きく変化してきました.特に牧羊業はほんの数年で大きく変わりました.条例や規制やデスクワークが増えて,小さな牧場の主はその将来を考え直すようになりましたし,大きな牧場主は,ライフスタイルへのこだわりより,経営の方に多く関心を寄せるようになりました.近代的な農機具や子羊の室内飼育などは商業化の影響です.
「羊を追い歩き回った日々,番をして過ごした長く寒い夜」...こんな暮しを懐かしく思い出しはしますが,逆戻りはご免こうむりたい,といったところでしょうか.
そんな中で,牧羊犬たちはどんな舞台で活躍することになるんでしょうか? 私の想いはあっちこっちに飛ぶんですが,この犬たちの将来だけはいつも気にかかります.ボーダーコリーはとりわけ慎重にブリーディングされてきました.そのおかげで,自分自身で考え仕事を成し遂げる犬になりました.そしてこれこそが,私たちが慈しみ称えてきた能力です.
それらの能力は,今や消え去ろうとしているんでしょうか? もし私たちが作業能力の傑出していない犬をブリードしていくなら,この犬種を際立たせている性質を失うことは確実です.強さや仕事の本能によってブリードしていく必要は無くなります.持ち前の聡明さは,色んなことに適応し,喜んでその能力を発揮するために利用されるようになるでしょう.
変化をもたらすことに対しては,私たちはみんな責任を負っています.生活様式やスポーツ,そしてそこにいる人間たちが変化を求めているのです! オベディエンスやアジリティやショーの世界では,シープドッグよりもスポーツ用のラインからブリードすべきだと言われているそうです.ワーキングラインでは頑固すぎたり,洞察力がありすぎたりするんだそうです.この際,理由は重要ではないでしょう.私たちが心配しているのは,これらの「事実」です.
シープドッグトライアルの人気が上がり,農業とは無縁な人々も大勢参加するようになりました.これらの犬は仕事をせず,「考える」本能を使っていないので,運動能力や羊を誘導する力(turning power)が弱かったりします.その結果,トライアルの場には,羊を強力にドライブするというよりは,羊について行くような犬が集まってきます.たとえ羊を支配していなくても,その方がきれいなランに見えるからです.やさしい犬が競技で有利になってくると,羊飼いたちは彼らの犬が認められなくなっていくように感じるでしょう.羊追いの能力が高く職人的なランを見せる彼らの犬がです.結局これらが,仕事用やトライアル用の犬を産み出していくことにつながっています.
これらは,まだ顕在化した問題ではないかもしれません.でも近い将来,これが誰もが望んでいないことへのスタートになり得るのです.
20世紀の間,ブリティッシュ諸島はもっとも優れたワーキングドッグを産み出すことで知られてきました.犬たちは丘や平地でも働いてきましたし,競技の場では最高の技術を披露してきました.インターナショナル・シープドッグ・トライアルでは,それらの中でもベストのものを目の前にすることができます.もしワーキングドッグの演じるマジックを疑う人がいるなら,スープリーム・チャンピオンシップを見るべきです.きっと,畏敬の念に打たれるはずです.
でも,これから先はどうなるかわかりません.今のところ,ボーダーコリーはほとんどのことをこなします.「犬がいるところ,常にボーダーコリーありき」です.選手の中には,競技用に気のやさしい犬をブリードしてきた人たちもいますが,彼らは,そんな犬ではビッグコースでは歯が立たないことも痛感してきました.国際的な競技では良い犬が必須です.他のスポーツの競技者も,「オリジナルのタイプ」を目指してブリードするようになってくれることを期待したいです.
(経済性を追求するため)牧場における「管理」が徹底されていけば,ワーキングドッグはその価値をますます下げることになるんでしょうか? 現在,メインラインのシープドッグ体験コースでは,一般の人が羊追いやシープドッグを生で見る機会を提供しています.私たちは,50年後も同じ仕事を続けていられるんでしょうか?
ISDSはこの犬種の保護のために,すばらしい活動をしています.もっとたくさんの人が力を注ぐようになれば,未来はもっと安心できるものになりそうです.決して暗い見通しだけではありません.これは私の個人的な見解ですが,決して私だけのものではありません.私が出会ったたくさんの羊飼いや牧場主が同じように感じています.彼らは昔ながらの生活スタイルで,最高の犬たちに囲まれて育ってきました.
もしかしたら(まさしく「もしかしたら」としか言えませんが),ものごとは弧を描くように昔に帰っていくかもしれません.規則や規制によって,羊を養うことはますます複雑になっていきます.現在,もともと牧羊とは関係が無かった平地の農場主がたくさんいます.羊は「新規作物」としてこれらの農場に紹介され,一時は金儲けの種になりました.今後,この儲けが少なくなるか,あるいは派生する問題で帳尻が合わなくなってくると,平地の牧羊業は次第に廃れ,丘の牧羊業が増えてくるでしょう.
これがうまく行って丘でもっとたくさんの羊を飼うようになると,羊飼いの収入と家畜が増え,そして最上級の犬の必要性も高まっていくというわけです.その結果,ボーダーコリーも昔と同じ能力が求められるようになっていきます.それは,かつて牧羊業がライフスタイルとして確立しており,シープドッグが何にも増して貴重だった時代に要求された能力です.
私たちは昔に戻ってしまうことになるんですが,その方が良いことって,世の中には一杯ありますよね? ボーダーコリーが本能を駆使して躍動しているとき,それは,自然が見せるもっともすばらしい瞬間です.犬との完全なパートナーシップ...この体験を一瞬でも共有できれば,私たちがこの問題になぜここまでこだわるのか,きっと皆さんにもご理解いただけるでしょう.
人間を散歩に連れていくのは僕の役目だ.
でも実を言うと僕は,そのたびにとても恥ずかしい思いをしている.
人間は毎晩決まった時刻に "仕度" するんだけど,先に行ってしまおうかと思うくらい時間がかかるんだ.彼らは散歩をすごく楽しみにしてるから,実際には置いてけないけどね.
厚い靴下とブーツを履き,ジャンパーとコートを羽織ると,決まって彼らはこう言う.
「ねぇ,どこに行くと思う?」
僕が行き先を知らないと思ってるみたいだけど,結局は "僕が" 連れて行くのにね!
最後にリードをつける.自分たちだけで出歩くのに慣れてないから,人間はこれが無いとはぐれちゃうんだよ.
それからやっと,公園に向かって出発する.仕度の間,僕はこれからの楽しいことを考えてるんだけど,人間は準備で疲れちゃうみたい.だから,僕が引っ張ってあげなくちゃいけないんだ.
僕にはやんなきゃいけないことが一杯あるから,公園についたらすぐにリードを放してあげる.実際のところ,彼らの面倒を見るのって結構大変なんだよ!
僕はあっちこっちに行って "自分の用事" を済ます.例えば,公園が縄張りだと勘違いしてるテリアに向かって唸ってやったり,まだ若いけどちょっとイかしたスパニエルに挨拶したりね.
それから,水遊びも欠かせない.僕は水しぶきを上げたり泳いだりするのが大好きなんだ.飼い主を引き入れて一緒に水遊びしてる連中を見るとちょっとうらやましいけど,僕は人間は誘わないことにしている.
日課は30分くらいで終わるんだけど,いつも一番恥ずかしく思うのは,その間中,彼らが公園の真ん中に突っ立って叫び続けるってことなんだ.もう大人なんだから,ちょっとくらい放ったらかしにされたからって,ギャアギャア騒がないで待ってられると思うんだけど...
仕方ないから,最後には僕がそばに行って黙らせる.今度こそ怒鳴り散らしてやろうと心に誓うんだけど,彼らったら僕に怪我が無くて良かったなんて大喜びするもんだから,ほんと調子狂っちゃうよ.
それから家に向かって出発する.
帰るときには人間も大分マシになってるから,僕も彼らの横について歩いたりする.それまでどれくらい興奮してたかも歩いてる間に忘れちゃうみたいで,家に着く頃にはすっかり落ち着いてる.この,行くときと帰るときのギャップが傑作なんだなぁ.
人間っておもしろいね!