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ボーダーコリーの歴史

記事をまとめるにあたっては,以下の資料を参考にしました.

闇の中の祖先

 私達がボーダーコリーの歴史を正確に掴むことができるのは,せいぜいこの100年あまりです.その100年の間,ひたすら(シープドッグトライアルをめざし)トップクオリティのシープドッグを作るという目的で,ラインブリーディングやインブリーディングが繰り返されてきました.それ以前は純粋に牧場の作業犬であり,おそらく現在では他の犬種と区別されているものも含めて,「ワーキング・コリー」と総称されていました.

 羊飼い達がどのように彼らのパートナーを作り出してきたかに関しては,ほとんど記録が残っていません.おそらく計画的なブリーディングとは無縁だったでしょう.これは,ヨーロッパにおいて羊飼いという職業の社会的地位が低く,その職に就く人たちも貧しく一般に教育レベルが低かったこととも無関係ではないと思われます.したがって,ボーダーコリーの起源を正確に辿ることは,現在ではほとんど不可能と考えられています(他の多くの犬種もそうですが).

 一般に「牧場」ということばから受ける印象とは異なり,スコットランドやイングランドの牧羊は,険しい山岳地帯を駆け回る非常に過酷な作業でした.粗末な食事,劣悪な環境で仕事(ハーディング)を遂行する体力/能力が追求されてきました.その反面,容姿や多少の性格的欠陥にはさほど感心が払われませんでした.この辺の事情は,例えば同じ作業犬でありながら,貴族達のスポーツであった猟を職業とするハンティングドッグ達とは対照的かもしれません.

 ワーキング・コリーの起源も良くわかっていません.紀元後,ブリテン島に乗り込んできたローマ人,バイキング,アングロサクソン民族などはそれぞれ牧畜の習慣を持っていました.おそらく,ワーキング・コリーには彼らの持ち込んだ牧畜犬達の血が交じりあって流れていたでしょう.

 ワーキング・コリーが現在のボーダーコリーになるまで,さまざまな交配が行われたことは確実です.特に,その容姿や行動上の特性からベアデッドコリーやハーレクイン,ボブテール・シープドッグなどの血が入っていると思われます.また,ボーダーコリーの大きな特徴は「眼の力」(睨みつけること)で家畜をコントロールすることですが,このことからセッター,スパニエル,ポインターなどのハンティングドッグの血も入っていると推測されています(次の「ハーディングの血」に詳しく述べます).

 1900年頃からシープドッグ・トライアルが行われるようになり,また,「近代ボーダーコリーの父」と言われるオールド・ヘンプ(Old Hemp)が現れました.それ以降ボーダーコリーのたぐい稀な運動性能,インテリジェンスが次第に一般にも認められるようになり,計画的なブリーディングが施されてきました.また,ボーダーコリーの子孫の一部は新天地オーストラリアに渡り,土地の野生犬ディンゴと掛け合わされ,ケルピーやオーストラリアン・キャトルドッグなど独特の犬種を生み出しました.さらに最近では,オーストラリアのショー系ボーダーコリーは,米国においてスミスフィールド・ボブテイルやジャーマン・クーリィなどと掛け合わされ,オーストラリアン・シェパードが誕生しました.

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イギリスの牧羊犬

 産業革命 (1800年前後) の数世紀前から,ブリテン島(今のイギリス)では土着の羊を牧畜し、羊毛産業で生活していました。おそらくその時代から牧羊犬が一緒に働いていたと思われます.ローマ人が牧羊用の犬をブリテン島に持ち込みました. 医師のJohn Caiusは「羊飼いの犬」について1500年代に記述しています.彼の著書「De Canibus Britannicus (イギリス犬に関する論文)」は,ブリテン島で働く牧羊犬に関するもっとも古い参考書でしょう.

 スコットランドで羊の経済が成立したときには,牧羊犬が不可欠でした. 1707年にスコットランドがイギリスに併合されてから,両国の牧羊犬が交雑するようになり,種類を倍増させました.しかし,産業革命以降,イギリス本国で牧羊業が縮小するのに歩調を合わせるようにその多くは消滅していきました(その一部は新天地オーストラリアに引き継がれ,独自の犬種の誕生に一役買っています).細々と続けられたイギリス本国の牧羊業に欠かせない能力の高い犬だけがかろうじて絶滅を免れました.その代表が現在のボーダーコリーの祖先であると考えられます. スコットランドボーダー地方Ettrick Valley出身の羊飼いで詩人でもあった James Hogg (1772-1835) はこう記しています.

「牧羊犬がいなければ,山が多いイギリスやスコットランドの土地は6ペンスの値打ちも無かっただろう.羊の一団をまとめたり市場に運ぶのに,儲けてそれらを維持する以上の手間がかかったに違いない.」

 ボーダーコリーに似た犬は数世紀前から存在します.古い絵画や版画にボーダーコリーに似た羊飼いの犬が描かれています.Sheila Grewは彼女の著作「Key Dogs from the Border Collie Family (1985)」の中で次のように述べています.

「一世紀前には,多くの[作業犬]コリーは気性が荒く力も強く,コントロールが困難で家畜にも乱暴であった.しかし彼らの鋭い本能や集中力,さらには羊や牛に対するパワーは,ブリーディングによってより気性の穏やかなコリーを作り出す価値のある,貴重な財産でした.」
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ハーディングの血

 19世紀になってドッグショーが起こるまでは,いわゆる「純血」という概念はありませんでした.それまでは,それぞれの飼い主の目的と都合によってブリーディングが行われていました.去勢や避妊の習慣も無かったため,多くの血が交じり合う可能性がありました.「作業犬の価値は"遺伝的な純粋さ"ではなく,作業能力にある」というのが一般的な感覚でした.ボーダーコリーに関しても,例えばISDSに登録するためには作業能力さえ証明できればOKだったのです.したがって,今となってはボーダーコリーの血筋を正確にたどることはできません.ただ彼らの習性や当時の状況から,多くのことが推測できます.

 中世においては,現在のスパニエルの祖先にあたる犬種が,鳥猟犬としてブリードされていました.彼らには猟のときにクラウチング姿勢(身体を沈めて獲物を狙う姿勢)をとる習性がありました. 当時は網を投げて鳥を捕獲していたのですが,このとき,この姿勢が投網の邪魔にならないので,猟に好都合だったとも言われています.おそらく,これが今日のボーダーコリーの作業姿勢に受け継がれたものと思われます.スプリンガー・スパニエルとボーダーコリーのコート模様が似ているのも,その証の一つと言えます.

 その後,猟犬としてセッターとポインターがブリードされていました.犬の生来のハンティング本能は,獲物を攻撃することですが,これらの猟犬は,攻撃する代わりにステイバックし,獲物の位置をハンドラーに知らせるように改良されていきました.これがボーダーコリーに見られる 「目」 の使い方に引き継がれたことは疑いの余地がありません.ただ, 「目の強い」 犬は獲物を睨みつけ,獲物の動きを止めるとともに,自分も動かなくなってしまいます.これはポインターなど一部の猟犬には望ましい性質であっても,牧羊犬には明らかに行き過ぎです.

 一方,初期の牧羊犬は,吠えたり噛みついたりして羊を誘導していました.そのせいで,羊が必要以上に興奮してしまい,まとめるのが困難なケースも多くありました.

 鳥猟犬と牧羊犬の出会いは,あるいは偶然だったかもしれません.しかしその結果,吠えたり噛みついたりする前に 「目」 を使って羊を誘導する牧羊犬が誕生しました.そしてそれが,古来の方法よりはるかに効果的なことが証明されていきました.現代の牧羊犬の 「目」 を使った作業習性は,このようにして固定されていったと考えられます.

 また牧羊犬は,俊足で知られていたグレイハウンドやウィペットとも交配され,スタミナと賢さに加えてスピードも兼ね備えるようになっていきました.これらの犬はラーチャー(lurcher)と呼ばれますが,彼ら自身やその子孫たちも ISDS に登録されていきました.ローズ型(後方に折りたたれた耳)に近い耳のタイプは,明らかにこれらの犬種から受け継いだものと思われます.また,ISDS の記録を調べると,現代ボーダーコリーの主要なラインにビアデッドコリーの血が導入されていることもわかっています.

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シープドッグトライアル

 産業革命以降,牧羊業自体はイギリス本国では次第に下火になっていきました.それでもボーダーコリーが注目されるようになってきたのは,「牧羊犬による羊の囲みこみ競技(the sheepdog trials)」 が考案されてからです.1873年に,最初の競技がウェールズのバラ(Bala)という町で開催されました.このときには10頭の競技犬が参加し,見物人も300人以上集まったとされます(それまでも,各地の農業の催しで同様の競技は行われていました).このときの主催者はイギリスケンネルクラブの出資者達でもありました.最初のイギリスシープドッグトライアルは1876年にノーザンバーランド(Northumberland)という町で開催されました.この大会はショー用のコリーでも活躍できることを示そうという,いわばショー愛好家から羊飼い達への挑戦でもあったわけですが,結果は散々だったと言われています.バラから来た羊飼いがウィナーとなりました.バラ大会の7年後(1880年)には,早くもアメリカでも競技が開催されています.この当時は,ボーダーコリーという名称はまだ使われていませんでしたが,競技で活躍した犬の多くはすでに現代ボーダーコリーに近いものでした.

 1906年には,12人のトップハンドラーが集まりインターナショナル・シープドッグ・ソサイエティ(The International SheepDog Society(ISDS))が結成されました.ISDSはその当初からハーディング能力の向上を目指して設立されており,容姿を重んじるケンネルクラブとは一線を画していました.ISDS主催の競技が結成一ヵ月後に開催されましたが,このときのウィナー犬ドン(Don)は後で紹介する名犬オールド・ケップ(Old Kep)の直接の息子でした.以来,シープドッグトライアルはイギリスBBCのレギュラー番組になるほどの人気を集めてきました.シープドッグトライアルは「ボーダーコリーブリーディングの本当のテスト」であると言われています.ボーダーコリーの能力の開発には,この競技の普及と人気が大きく寄与しているのは間違いないでしょう.

 1915年,牧羊犬が働いていた土地がイギリスのボーダー地方(イングランドとスコットランドの国境)だったことから,ボーダーコリーと呼ばれるようになりました.当時ISDSのセクレタリであったジェイムス・レイド(James Reid)がそう呼んだことから初めてこの価値ある犬たちに固有名詞がついたのです.

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オールド・ヘンプとオールド・ケップ

 現代のボーダーコリーの祖先をたどれば,そのすべてがオールド・ヘンプ(Old Hemp)とオールド・ケップ(Old Kep)という2頭の名犬に遡ると言われています.特に,オールド・ヘンプは 「近代ボーダーコリーの父」 と呼ばれており,1893年,当時名ハンドラー/トレーナーとして知られていたアダム・テルファー(Adam Telfer)の犬舎で生まれました.1才でトライアルにデビューするやいなや,数々のタイトルを総なめにしていきました.彼の作業スタイルには大きな特徴があり,それは 「眼の力」 を最大限に利用して,非常に静かにかつ速やかに羊たちをコントロールすることでした.動きの力強さにも特徴があり, 「牧羊犬の群れの中から流星のように現れた」 犬であると賞賛されました.当時の関係者に強烈な印象を与え,彼によってボーダーコリーの目指すべき姿が明らかになったといえます.

 容姿の特徴は,全身の力強さ,わずかに湾曲した背骨,はっきりしたストップ,深いマズル,広くかつ垂れた耳,漆黒に白が混じった毛色などでした.彼の作業動作,習性,容姿が現代のボーダーコリーの原型となったと言われています.事実,今日では彼の遺伝子と無関係なボーダーコリーは存在しないと言われています.スタッドドッグとして生涯に200頭以上のオスと数え切れないメスの子孫を残しました.その何頭かはオーストラリアやニュージーランドにも輸出されました.

 オールド・ケップは1901年に誕生し,オールド・ヘンプのラインとミックスされ,彼と同様,大きな影響をその後のボーダーコリーラインに残しました.性格的にやさしい面を持っていたため,ボーダーコリー初期のあまりにも荒々しい気性を和らげる役割を果たしました.最初のISDS主催のシープドッグトライアルで優勝したドンは,彼の直接の息子に当たります.やはり 「眼の力」 の強さに特徴があり, 「羊達は彼のやさしく秘めた力を瞬時に感じ取り,逆らうのを止め,すべての要求に素直に従うようでした.ずば抜けて強い眼の力を持ち,近くにいる羊や見物人はまるで催眠術をかけられたような影響を受けました」 と文献にも記述が残っています.1908と1909の両年に世界チャンピオンに輝くとともに,生涯に45回のトライアルに勝利を収めました.

 1965年の世界チャンピオンであるウィストン・キャップ(Wiston Cap(1963-1979))も,現在のボーダーコリーにとって重要な犬です.オールド・ヘンプが 「近代ボーダーコリーの父」 なら,キャップは 「現代ボーダーコリーの父」 と言ってもいいでしょう.彼はISDSのバッジにポートレイトとして刻まれています.牧羊犬としては異例の早さですが,6ヶ月にしてすでに農場で働いており,10ヶ月の時には最初のトライアルに出場しました.世界チャンピオンを獲得したのは2歳になる1ヶ月前でした.

 ウィストン・キャップやはり名犬といわれたワータイム・キャップ(Wartime Cap(1937-?))のラインから生まれましたが,彼が現れるまでなんと16回もラインブリードされています( 「ワータイム」 はいわばニックネームで,彼の活躍期間がちょうど世界大戦にあたり,シープドッグ・トライアルに出場する機会が無かったためにこの名がつきました.悲劇のヒーローといったところですね).体格が大きく,トライカラー・ラフコートのハンサムで,ピンとした立ち耳に特徴がありました.これまでになく多くのメス犬と交配し,やはりそのラインと無関係なボーダーコリーは現在ほとんどいないと言われています.彼以降,立ち耳が普通に見られるようになり,初期のボーダーコリーで多く見られた完全なドロップやフラット型の耳は,その影響で非常に少なくなりました.

 このように,ボーダーコリーは作業(競技)能力の傑出した犬にラインが集中する傾向があるため,その優れた特性が継承されると共に,神経質で不安定な気質や,てんかんや股関節形成不全,コリーアイなどの遺伝的疾患も多く見られる犬種となりました.

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3つの主張

 シープドッグトライアルでの活躍は前ページで紹介しましたが,やはり一般の人々にはケンネルクラブの影響の方が強いといえるようです.1865年,ビクトリア女王がスコットランドを訪れ,ラフコリーの優美な容姿に惚れこんでロンドンに連れ帰るという出来事があり,そのおかげで牧羊犬が脚光を浴びるようになっていきました.1860年の最初のドッグショーではコリー種はたった5頭でしたが,1885年のショーでは100頭以上になりました.ただし,オールド,シェルティー,ビアデッドなどの見映えのするコリー種は19世紀末から20世紀半ばにかけて次々と公認されていきましたが,ボーダーコリーだけは蚊帳の外でした.ケンネルクラブが姿態の荒々しさ(醜さ)を嫌ったこと,ブリーダー達が作業能力を重視するあまり,容姿を重んじるドッグショーに直結するケンネルクラブに属することを拒んだことがその理由とされています.結局イギリスKCには1976年,アメリカKCには1980年になってようやく公認されるに至りました.

 作業性能を重視するブリーダーと標準容姿を重視するケンネルクラブとの間では,現在でも議論(あるいは対立)が続いています.以下は,アメリカにおける典型的な3つのグループの見解をごくシンプルにまとめたものです.

 牧羊のコミュニティに属する飼い主の多くは,アメリカKC(AKC)やカナダKC(CKC)の定める規定によって,ボーダーコリーのラインが決定的なダメージを受けると主張しています.AKCの定めるスタンダードによって,容姿は優雅だが作業はだめなラインができることを憂慮しています.このコミュニティは犬のハーディング本能を最重要視し,それ以外のブリーディングは無意味だとしています.この人々はAKCとはまったく関わりを持とうとしませんし,もちろん飼い犬を登録することもありません.

 一方,AKCのオベディエンストライアルやその他のパフォーマンス・イベントに参加する人々は,第2のグループを形成しています.作業能力を保存するためにKCと多くの人が手を尽くせば,パフォーマンスとハーディングの双方の能力が高いラインを固定できると主張しています.レベルの高いオベディエンスのブリーダーは,2世代に1回はワーキング系のラインを導入し,作業能力の維持を図っています.

 第3のグループはショーを最も重視する人たちであり,イギリス,オーストラリア,ニュージーランドから,それぞれのケンネルクラブで公認されてきたラインを輸入することに熱心なのです.一般にショー系のラインでは,体格が大柄で優美であり,性格もワーキング系に比べれば穏やかであるといわれています.

 この議論がどう決着するのか,少なくとも私達にはまったく予想が着きません.しかしながら,ボーダーコリーを愛し(とり憑かれ?),彼らの将来を真剣に議論する集団がこれだけ存在することは事実です.どうしても人間の方が熱中し,思い入れが強くなりすぎてしまうのでしょうか.これもボーダーコリーの魅力を証明するエピソードの一つだと思います.

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現在の活躍

 ハーディングで養われたボーダーコリーの能力が高く評価され,今日ではあらゆる方面で活躍しています.日本ではアジリティやフリスビーなどのドッグスポーツがあまりにも有名ですが,海外では盲導犬や救助犬などとしても現役で活躍しています.以下は彼らの活躍の場です.

牧畜

 なんといっても本職は牧場でのハーディングです.群の移動をコントロールするハーディング能力は,数ある牧畜犬の中でもピカ一でしょう.現在,オーストラリア,ニュージーランド,アメリカ西部,スコットランド,ウェールズ,北イングランド,アイルランド,などで現役で働いています.対象は,羊のほか,牛,あひる,かも,七面鳥,にわとり,豚,やぎ,ラマ,バッファローなど,何でも来いです.珍しいところでは,ノルウェーやスコットランドでトナカイや鹿,南アフリカではダチョウの飼育にも従事しています.仕事の内容は,家畜を牧草地に誘導したり,一箇所にまとめたり,羊毛を刈ったり注射や虫下しの処置のために特定の羊を連れてきたり,迷った羊を探し出したりすることです.ハンドラーの元に群を集めてくるのはボーダーコリーの得意とするところであり,他の牧羊犬(大抵はハンドラーから遠ざけるのを得意とする)との大きな違いでしょう.また,ハンドラーの目が届かないところでも,自分で判断して仕事を成し遂げる知性が必要とされます.仕事中はエネルギーと集中力のかたまりとなり,一日に200マイルも山野を走り回ると言われています.
 一般に牛の牧畜には危険が伴うため,特に身体が大きく勇気のあるボーダーコリーが用いられます.豚も攻撃的で賢いので,ハーディングの対象としてはもっとも難しいとされています.今日,優れたオベディエンスドッグのブリーダーは,少なくとも2世代に1回は仕事犬の血をブリードすることによって,この優れた作業能力と知性を保存しようと努力しています.

アジリティ

 アジリティもボーダーコリーが先頭にたって活躍しているドッグスポーツです.もともとは,ドッグショーの客寄せのためのデモンストレーションとして,1977年にロンドンで始まりました.1980年にBKCがスポーツとして認定し,アジリティクラブが設立されてから,非常な人気を集めるようになりました.アジリティは見ている側も興奮しますし,犬も大好きです.犬とハンドラーのタイトな信頼関係が必須であり,しつけの一貫としてこの競技を取り入れることが多くあります.シャイな傾向がある犬も,アジリティの練習を通して自信をつけることが良くあります.ボーダーコリーがこの競技で活躍できるのは,その運動能力,耐久性,そして仕事に対する意欲が優れているからです.

探索犬

 ボーダーコリーは,麻薬,爆薬,放火,死体などの探索犬としても非常に有能です.本来はGシェパードやマリノアなどが探索犬として一般的ですが,彼らには若干神経質な面もあるので,学校,郵便局,空港,国境などの環境では,度胸のあるボーダーコリーのほうが適している場合があります.珍しい例としては,禁輸農作物の摘発の他,人工授精のためヒート中の牛を探す仕事に就くために訓練されることもあります.第一次/二次世界大戦中には地雷探索犬としても活躍しました.J. Robicheaux and A. Jonsが著したマニュアル「麻薬探索犬訓練の基礎(Basic Narcotics Detection Dog Training)」には,理想的な探索犬の気質として次のように記述されています.まさしくボーダーコリーの気質と言えるのではないでしょうか?

「この種の仕事に適しているのは,エネルギーに満ちてハイパーアクティブな犬である.この種の犬は常に好奇心に満ちており,いつも何かしており,周りの状況に細心の注意を払う傾向がある.怠惰で控えめな犬はモチベーションを与えるのが難しいので,その分訓練も困難になる.理想的な犬はリトリーブに夢中になる.このような犬は,物を投げようとしただけで,その先を予想して興奮のため震えるようなしぐさを見せる.投げるふりをしたときも同じような反応をする.リトリーブしない犬は,先を予想しようとはしないものである.」

盲導犬

 一般にボーダーコリーは音など周囲の刺激に神経質ですし,活発すぎる上に車や自転車など動くものを追う本能があるので,盲導犬には不向きである思われています.ただし,ボスに従順であり辛抱強くタフですので,性格テストや身体テストにパスしたものは盲導犬として訓練されることがあります.体格的にも一定の範囲に入ることが必要です(ボーダーコリーだと比較的大き目のサイズが求められます).フレンドリーで活発,他人に触れられても人ごみの中でも平気,動くものをまったく追わない,といった性格が求められます.したがって盲導犬の候補は,社会化とオベディエンスの訓練を徹底的に施したブリーダーから選ばれます(しかもほとんどがショーラインです).

フライボール/セントハードルレース

 フライボールは1970年代の後半に米国で生まれたスポーツです.4組の犬とハンドラーが1チームとなり,4つのハードルの向こうにあるボールをリトリーブするスピードを競います.セントハードルでは,目標地点にボールの代わりに複数のダンベルが置いてあり,その一つにはハンドラーの匂いが付けてあります.競技犬はその匂いをかぎ分けてリトリーブする必要があります.

フリスビー

 日本ではもっともポピュラーなドッグスポーツとなったフリスビーですが,その端緒となったエピソード(1974年に一匹のウィペットとその飼い主がドジャースタジアムのフィールドに飛び出し,観客にパフォーマンスをして見せた)も広く知られています.競技会で多く見られる犬種は,ボーダーコリーのほか,オーストラリアンシェパード,ラブラドール,Gシェパードなどですが,ミックス犬も多く見られます.ディスクをキャッチして持って帰ってくることは,獲物を捕まえてボスの元に持ってくる行動に擬せられるので,大抵のボーダーコリーは熱心に取り組みます.ただし,ディスクを空中でキャッチする動作は,身体に大きな負担をかけますので,普段からフィジカルトレーニングとウェイトコントロールを心がける必要があります.歯や足の怪我のほかに,空中で身体をねじるので,命の危険もある背骨の障害が起こることもあります.最初は軽い運動にとどめ,体が十分にできる1歳になるまでは高いジャンプをさせないことが重要です.

オベディエンスドッグ  少なくともイギリスと米国では,ボーダーコリーがオベディエンス競技を席巻しています.イギリスでは約90%のオベディエンスドッグがボーダーコリーです(残りの10%はGシェパード,プードル,シェルティなど).米国でもトップがボーダーコリーであり,その後にゴールデン,シェルティ,プードルと続きます.1978年にAKCはオベディエンス競技のチャンピオンシップを設立しました.その年にPassionというメスが最初のタイトルを獲得してから,何百ものボーダーコリーがチャンピオンに名を連ねてきました.

軍用犬

 2つの世界大戦では,ボーダーコリーは軍用犬としても利用されてきました.メッセンジャー,武器輸送,救助,鉱脈探知などの仕事をこなしてきました.地に伏せたような独特の姿勢が,壕と壕の間を移動するのに適していたとされています.イギリス軍のRoyは2つの勲章を持っており,位置を知らせるメッセージを運んで,罠にかかった40人の兵士の命を救ったといわれています.もとキャトルドッグであったRobは,イギリス空軍によって訓練され,パラシュート降下部隊の一員として働きました(夜間,先に降下して後続の降下部隊を誘導する).今日では,Shutzhund V(Shutzhund: 1890年代にドイツで始まったトライアル.トラッキング,オベディエンス,防衛などを組み合わせた競技で,気質,勇気,防衛本能,タフさ,注意深さ,責任感,仕事に対する積極性などのテストが目的)タイトルを持つボーダーコリーが多数活躍しています.

介助犬

 障害を持つ人たちのために,介助犬としても活躍しています.身体のサイズや性格に関しては,盲導犬と同様の制限があります.外交的で自信に溢れ,騒音に神経質でない性格と共に,あらゆる耳や目の障害,股関節不全,アレルギーなどの疾病が無いことが条件になります,四肢の障害者のためには,物のリトリーブと飼い主に代わって運搬することが主な仕事となります.ハーネスを着けて車椅子をガイドすることもあります.聴覚障害者のための聴導犬は,時計,電話,ドアベル,赤ん坊の泣き声などを飼い主に知らせます.吠えて知らせることができませんので,飼い主に鼻をこすりつけ,次に音源に向かって走っていくことで知らせます.それでも気づかれないときは,飼い主の上に飛び乗ります.小さくて注意深い犬が望ましいので,普通はシェルティ,コーギー,ジャックラッセルテリア,シッパーキなどが好まれます.

ショードッグ

 ボーダーコリーがアメリカKCに公認されたのは1980年ですが,ショードッグとして認められたのは1995年になってからです(オーストラリアでは1940年代に,イギリスでは1976年から).ボーダーコリーがショードッグとして公認されている国では,常にショー系とワーキング系の2系統のボーダーコリーが存在しています.一般にショー系は重いコート,骨太,長い胴と短い足などの特徴があります.ショー系も活発な犬であることに変わりはありませんが,コートが厚いために特に夏場の運動は制限されます(体温が上がりすぎて危険なため).

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