この犬種の黎明期には何頭かの重要な犬たちが存在した.シープドッグ・トライアルにおいて人々に鮮烈な印象を与え,ブリーディングの方向性を示してきた犬たちである.彼らの容姿あるいは作業上の特徴は,今日のボーダーコリーの中に容易に見出すことができる.
その一方,犬種の基礎となる母集団が狭い範囲に限定されたため,遺伝疾患など望ましくない形質も数多く見られるようになった.特に初期の頃には,この犬の選択基準はもっぱら農場における仕事の能力であり,遺伝的な疾患などは考慮されなかったのである.

1893年,当時すでに名ハンドラー/トレーナーとして知られていた Adam Telfer のもとで生まれた.今日のボーダーコリーのモデルであり, 「近代ボーダーコリーの父」 と言われている.この1頭の犬がボーダーコリーという犬種に及ぼした影響は計り知れない.数多くのトライアルではまさにセンセーショナルな活躍を見せた.約1歳でトライアルにデビューするや,それ以降,生涯負けることがなかったのである.容姿上の特徴は,全身の力強さ,わずかに湾曲した背骨,はっきりしたストップ,深いマズル,広くかつ垂れた耳,漆黒に白が混じった毛色などであった.
彼のハーディング・スタイルの特徴はその 「静かさ」 であった. 「羊を読む」 能力があると言われ,羊たちは,彼への信頼から落ち着いて従っているように見えた.羊飼いたちは,このスタイルが家畜に与えるストレスを最小限にすることを学んだ. Hemp が,なぜここまで才能に恵まれていたかは謎である.彼のオス親 "Roy" も良い犬ではあったが,ハーディングに対して特に傑出した才能を持っていたわけでは無かった.メス親の "Meg" は仕事に執着するタイプではあったが,羊というよりはむしろ自分自身をドライブしてしまうような犬であった.Old Hemp は,両親から望ましい性質だけを選択的に引き継いだ幸運な犬の典型と言える.
彼は8歳で生涯を閉じたが,その間,スタッドドッグとして非常に有名になった.おそらく200頭以上のオス犬と数え切れないメス犬の親となったと思われる.その子孫の数は驚くべき数であり,現代のいかなるボーダーコリーも,なんらかの形でHempの血を継いでいると考えられる.彼がスタッドドッグとして名を馳せたということは,彼の良い性質が子孫たちにうまく引き継がれたということの証でもある.その多くがトライアルドッグとして成功したのである.

Old Hemp が生涯を閉じたその年(1901年)に誕生した.中型サイズで,いわゆる 「オールドタイプ」 ボーダーコリーの容姿をしていた.彼がこの犬種に残した貢献は,何といってもその優しい気質であろう.初期のボーダーコリーは気性が激しく見知らぬ人に対して攻撃的な傾向があったが,Kep は非常に穏やかで優しい犬であった.彼の遺伝子は,Old Hemp の息子である Tommy (ISDS 16) に引き継がれた.Kep の息子である Don (ISDS 11) はニュージーランドに輸出されたため,オーストラリア・ボーダーコリーには Kep の血筋が大きな影響を残すことになった.
Old Kep のもう一つの貢献は,彼の "eye" であった.視線によって羊をコントロールする能力に秀でており,トライアルでは45勝を挙げた.第2回インターナショナルカップのウィナーでもある.
当時の文献の中に 「羊は一瞬にして彼の「優しい力」を見抜き,対抗するというよりは進んで彼の要求に従うようであった.特にeyeの力が強く,羊と観客の両方を魅了した.」 〜という記述が残っている.

J.M. Wilsonは伝説的なハンドラー兼ブリーダーである.彼は多くのチャンピオン犬を作出し,自らトレーニングした.例えば,1928年ナショナル・チャンピオンの Fly (ISDS 824) ,インターナショナル・チャンピオンの Craig (ISDS 1048,1930年), Roy (ISDS 1665,1934,1936,1937年), Glen (ISDS 3940,1946年,1948年), Mirk (ISDS 4438,1950年) などは全て彼の犬である.
そんな中でも,彼にとってももっとも重要な犬が Cap (ISDS 3036, 1937生)であった.しかし Cap はその活躍期間が第二次世界大戦と重なったため,(インター)ナショナル・チャンピオンシップに出場する機会には恵まれなかった.そのため,尊敬の意味を込めて Wartime Cap(戦時中のCap)という愛称で呼ばれた.
1950年のインターナショナル・チャンピオンは Cap の直接の子犬である Mirk であり,準優勝,3位はそれぞれ Moss と Glen であったが,そのいずれもが J.M. Wilson の犬だったのである.Cap は少なくとも112頭のメス犬とかけ合わされ,188頭の直接の子孫が ISDS に登録された.
![]() Gilchrist's Spot #3624 |
![]() Gilchrist's Spot #24981 |
第二次世界大戦直後の1947年,Spot (ISDS 3624) はインターナショナル・チャンピオンになった.卓越したハーディング・スタイルとバランスを有し,"eye" を自由自在に駆使した.かれのオス孫にあたるのが J.M. Wilson's Mirk (ISDS 4438) であり,逆に Mirk の孫犬が1965/1966年にスコティッシュ・ナショナル・チャンピオンになった Gilchrist's Spot (ISDS 24981) である.彼の子孫はその性格と作業スタイルの良さとともに,ワイドなアウトランを見せることで知られている.1970/1980年代の多くのチャンピオン犬は Spot と Wiston Cap の子孫である.

1963年,Wartime Cap のラインから1頭のトライカラーの子犬が生まれた.後に,ボーダーコリーの歴史の中でもっとも有名となる Wiston Cap (ISDS 31154) である.容姿は大柄で端正,従順で性格が良く,まさに牧羊犬の中の牧羊犬と称された.W. S. Hetherington により作出され, J. Richardson にトレーニングを受けた.初期のボーダーコリーラインが周到かつ入念に組み合わされ,特に Wartime Cap はその7代祖の中になんと16回も出現している.
才能が開花するのは早く,6ヶ月にしてすでに農場で働き,10ヶ月の時には最初のトライアルに出場した.1965年にインターナショナル・チャンピオンを獲得したときは,2歳になる1ヶ月前であった.それ以来1979年に死去するまで,数え切れない子犬のオス親となった.
Wiston Cap のスタッドドッグとしての価値が図抜けていたため,今日のボーダーコリーは皆,何らかの形で彼の子孫である.この極端な遺伝子の集中により,彼の優れた性質が多く後世に残されることになったが,同時に,劣性形質も多く出現するようになった.その中には,コートカラーなどの他にコリーアイやてんかんなどの望ましくない形質も含まれている.今日,ボーダーコリーにおいて普通に見られるようになった立ち耳(prick ears)も,彼の影響だと言われている.彼の子孫でチャンピオンになったものは,すべて彼にとってアウトクロス(先祖とは違うライン)のブリーディングによって生まれたという事実は注目に値する.